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5月28日 [トルコ旅行]

早朝、部屋のベランダからエーゲ海に目をやると、大きなクルーズ船がクシャダスの港を目指している。今朝は4、000人クラス豪華客船2艘、1、000人クラスの帆船の合わせて3隻が入港とのこと。下船した欧米からの観光客で、トルコ有数の観光地である聖母マリアの家、エフェスの古代遺跡、エフェス博物館、聖ヨハネ教会は大変賑わうことになりそうである。

 

クルーズ客で混み合わないうちにと最初にセルチュク町郊外のブルブル山に向かう。ここにはキリストの死後、ヨハネが聖母マリアに余生を暮らすようにと小さな家を用意した場所がある。この聖母マリアの家の跡に小さな教会が建てられ、現在ではキリスト教徒の聖地となっている。

 

次に、エフェスの遺跡群へ。紀元前287年にエーゲ海沿いの地から現在の地に遷都され、紀元前2世紀にローマ帝国の属領となり、帝国有数の都市として繁栄した。紀元前33年、クレオパトラがローマのアントニウスを助けるために200艘の船とともに上陸、束の間の甘いひとときを過した話は有名である。アゴラ→音楽堂 →アルテミス神殿→図書館→市場→劇場の順に観光する。

←138年ごろ完成し、皇帝ハドリアヌスに奉献されたハドリアヌス神殿。

 

←大劇場の1部分。収容人員25,000人で、ヘレニズム~ローマ期でも最大級の古代劇場。今でも夏には多くの催し物に利用されているとのこと。

←アントニウスとクレオパトラも歩いたアルカディアン通り。

 ←117年に完成。1万冊の蔵書を誇り、アレキサンドリアのものと肩を並べたケルスス図書館の遺跡。

←往時を偲ぶパフォーマンス。

昼食後、小さな町セルチュクに聖ヨハネ教会、エフェス博物館を訪ねる。なお、朝訪ねた聖母マリアの家は同じセルチュクの郊外の山中にある。

12使徒の1人聖ヨハネは、聖母マリアとともにエフェスに伝道に来てこの地で亡くなり、アヤスルクの丘に埋葬されたといわれる。墓の上に建てられた小さな礼拝堂を、大きな教会へと変えたのは6世紀のユスティニアヌス帝。その後、戦乱や地震により崩壊したが、現在では修復もかなり進んでいる。

 ←アヤスルクの丘に建つ聖ヨハネ教会堂。この丘から町並みが眺望できる。

←教会堂遺跡にコウノトリの巣を発見、頭を出している。セルチュクではコウノトリの巣がこの他にも見られた。

その後、エフェス博物館に立寄る。ここにはエフェスやその周辺で発掘された大量のコレクションが展示されている。その中から1体のアルテミス像だけを紹介する。

 ←大アルテミス像(紀元前1世紀)、高さ292センチメートル。

クシャダスへの帰路、イスマイル君お薦めの皮革製品を製造販売している店に、希望者を降ろしてホテルに戻る。私は風邪気味なので付合わなかったが、家内は半コートを1着買って喜んでのちほど帰ってきた。

 ←今朝入港のクルージング船は次の寄港地を目指して、夕方には早くも出航して行く。

夕食はホテルから歩いて行けるところにあるシーフード料理店TARIHI CINARでの子エビのオーブン焼き、イカのフライ、鰯のフライに舌鼓を打つ。

 ←鰯のフライ


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